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“お地蔵さん”と呼ばれた私が一人前の営業になるまでの軌跡

【3】ステテコ作戦、カットの法則…自身で編み出した営業手法

朝田氏顔写真

営業パーソンとして、自身で工夫したことはありますか。

“うまくしゃべることができない”タイプだったこともありますが、実は相手の方が部長をはじめとした年長者ばかりで、ソファーに向かい合った途端にあがってしまうのです。
それを打破するために実践したのが“ステテコ作戦”です。

夏休みに実家に戻ると、上半身裸でステテコをはいたうちの父がテレビを観ており、その姿は なんとも“だらしない”。
そこで、目の前に座っている、父と同年代の部長も、きっとこのズボンの下にはステテコをはいているはずだと自分に言い聞かせるのです。 “人”という文字を3回書いて飲み込む代わりに “ステテコはいてる”を3回唱えて商談に臨むことに。
そうすると緊張がほぐれて、しゃべることができるようになったのです。お地蔵さんと呼ばれた私が一歩前に進めたのが、このステテコ作戦でした。

電話でアポイントを取るために工夫したことはありますか。

当時はリクルートという名前を出すと、電話を切られてしまうことが多く、いかに受付を突破するのかが鍵でした。
そこで私の先輩だったAさんは、「あ、俺、Aだけど、社長いる?」という風に、友達からの電話のように切りだすと、受付も粗相があってはいけないと繋いでくれるわけです。
そして社長が電話口に出てきた段階で「社長でいらっしゃいますか、実は私リクルートの…」と商談に繋げていました。

私は女性ですし、友達のようなふりはとてもできない。そこで編み出したのが「カットの法則」です。
当時は赤坂営業所に勤めていたのですが、本来であれば「リクルート赤坂営業所の小町(朝田氏の旧姓)と申します」といって電話するところ、“リクルート”“営業所”をカットして「赤坂の小町ですが、部長さんいらっしゃる?」と名乗るわけです。
場所が場所なだけに、訳アリの女性から電話がかかってきたと受付は勘違いし、電話を繋いでくれるというわけです。

受付を突破するだけでも、いろんなノウハウがあるんですね。

受付を突破してアポイントがとれても、当時は女性営業がまだ珍しい時代。「ああ、女の子が来たんだ」と商談にならず、2度目のアポイントに繋がらないことも少なくなかったのです。
ならばと、初回訪問から男性上司を連れていくことにしました。上司が不在なら、同僚男性に同行をお願いし、必ず上座に座らせる。
そうすると安心されるのか、具体的に商談が進むようになりました。「男性じゃないと話にならない」と考えているのなら、それを逆手にとってうまく進められる方法を考えるわけです。女性だからと卑屈になることもありませんでした。

出版ゴールドサービスホームページ
画像は株式会社ネクスウェイホームページより

仕事をする中で転機になった出来事はありますか?

大きな転機は2つありました。出版ゴールドサービスという、業界特化型のFAX送信サービスを立ち上げたこと、そして合併直後だった大手石油会社の受注をした時です。
書店向けのFAX同報サービス「出版ゴールドサービス」が生まれたのは、数千ある全国の書店に対して、出版社の少ない営業パーソンで営業するのが大変でどうにかならないか、と相談を受けたのがきっかけでした。
右肩下がりになりつつあった出版業界の構造改革も求められており、当時いた部署の利益率向上という事業課題と重なった時、“これは一生に一度の大事な仕事になる”と直感しました。

その晩、夫に「申し訳ないけど、私は1年間走るので、子どものことはよろしくお願いします」と宣言。
1年間かけてサービスを作り上げ、結果として社内で優秀賞もいただくことができたのです。
私にとっては、業界を巻き込んでの初めてのプロジェクトであり、また、たくさんの出版社が手弁当で集まり、業界を盛り立てようと一緒に作り上げたという意味で、貴重な経験でした。この出版ゴールドサービスは今でも実際に売れているようで何よりです。

もう1つの転機、大手石油会社の件はどんなお話でしょうか。

当時はリクルートが第二種通信事業者としてリセール回線を提供しており、最初に東京~静岡という一拠点の回線を任せていただきました。
その時にトラブルなく回線接続できたことで信頼を得て、その後のホストの入れ替え含めた全国オンラインシステムの見直し時に、回線全体を請け負うことに繋がったのです。     

競合は大手通信キャリアばかりで、上司からはあきらめろと言われた案件でした。それでも、監視サービス含めて全て我々が請け負うことがお客さまのためだと譲らず、紆余曲折を経て受注することができました。
当時恋人もいなかった私が、クリスマスイブも遅くまで仕事をし、クリスマスの朝にお客さまから「クリスマスプレゼントだよ。お宅に任せることに決めたから」と電話がかかってきたのを覚えています。

でも、実はうれしさよりも、横っ面を張られた感覚でした。
それまでは数字のことしか考えていませんでしたが、電話をいただいた情報システム部の部長は、社長も巻き込みながら社内をすべて説得・調整してくれて、うちに任せてくれたのです。
見えない回線という、でもこの大事なものから新しい会社の歴史が始まるという認識が私自身に欠如していたことに、「お宅に任せるから」と言われた時に気づかされたのです。
それは私にとって大きな衝撃でした。それからというもの、お客さまにきちんと納品するまでが仕事なんだという意識を持つようになったのです。

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